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2022-02-28

ウクライナ侵攻で感じた苛立ちと冷静になるまで、SNSとの付き合い方を徒然なるままに。

情報氾濫

 
 
SNS の良い面、悪い面みたいな話です。
または、ポピュリズムへの憤りのような話であります。
反芻思考してしまうので、意識化して書き留めておきます。
 
 

■SNS での、ストレスフルの系譜

少し前では、2011年東日本大震災の地震がありました。
死ぬかもしれない恐怖やストレス、デマや火事場泥棒的な二次被害に対する憤りやストレスがありました。

その後、パッと思いつく限りでは、そこまでストレスフルな出来事はなかったです。

それからグッと最近になり、2019年頃から始まった「香港加油!」でおなじみの「香港国家安全維持法」施行における民主化デモ。
多くの争いの映像、暴徒と化した人々、荒廃する街の様子がシェアされました。

そして、いまも全世界で猛威を振るうコロナウィルスです。
明日、自分が死ぬかもしれない恐怖や、マスク着用に関する争いなど、憂さ晴らしをするかのようにSNSは荒れました。
 
コロナ後は、多くの社会常識が大きく変化して、コロナという大きな流れの中で、連続して様々なことが発生します。
始めは、東京五輪の開催時期が直前に控えてたことで、開催是非の意見表明から次第に分断や攻撃的な発言の応酬につながっていきます。
過去のいじめ事件を掘り返してのバッシングもありました。
コロナや五輪開催など、見解の違いがハッキリした時期です。
人との意見が異なることが、大きなストレスになることを強く実感し驚きました。
 
当時は、そこまでストレスが掛かってるとは気づきませんでしたが、いま思い返すと、かなりストレスだったはずです。
 
その後、米軍のアフガン撤退時におけるクーデターで、凄惨な映像が世界中を駆け巡り、現在のウクライナ侵攻に至ります。
 
 

■「多様性」への違和感

まず大きく感じるのは、「異なる他人の意見は当然で、受け入れよう」の机上の空論さです。
実際、他人と意見が異なると、人間は社会的動物であるがゆえに不安に駆られます。
だから相手を説得して自分と同じ意見になるよう仕向けたり、自分に都合良く振る舞わせるため、コントロールしようとします。
ところが、相手も同様に価値観があるため、譲れない場合は衝突します。
 
皆が皆、心に余裕があれば受け入れられる場合と、余裕があっても受け入れられない(譲れない)価値観はあります。
その場合、「距離を置く」のが一番の解決策になります。
受け入れるのではなく、距離を置く。
お互いにとって一番健全な解決策です。
心に余裕があれば、「相手と自分は異なる意見なんだな」と冷静に気付けるため、不毛な反応をしなくて済みます。
自分と同じ価値観を持つ人たちと集まったほうが、豊かな人生を送れることでしょう。
 
もちろん、壁は作らずボーダレスであることが望ましいです。
ただ、異なる価値観同士は歩み寄れないことも少なくないので、お互いが引き返せなくなる前に(冷静なうちに)、適度な距離を保つことが重要です。
「受け入れる」と表現すると、自分の価値観を曲げるようで拒否反応を示す人も出てくるでしょうから、「距離を置く」、「適度な距離を保つ」ことが大切になります。
コロナ禍の「ソーシャルディスタンス」は、もしかしたら「人間同士の適度な距離感の重要性」を教えてくれてたのかもしれません。
 

■SNSへの過剰反応

SNS は、何かあった際の情報源として、スピーディーで優良な情報の宝庫です。
自分は、それなりにリテラシーはあるだろうと自負してきたし、有識者や情報を見極められれば、有効なツールです。
当然、自分は使いこなしてるとつもりでいたので、変なことにはならないだろうと本人は考えます。
 
しかし、「自分の心」はオカシクなっていました。
 
もともと、騒がしいのが苦手で、のんびりマイペースを好む性格です。
ところが、緊急事態で気づかないうちに気分が高揚し、ハイ状態になります。
ハイになると、動物的本能から「反応的」な行動になりがちです。
 
動物は、危機(緊急事態)が迫ったら、余計なことは考えずに対処するほうが生存確率が高まるからです。
こうした動物時代の本能の名残のため、「脊髄反射」してしまうのでしょう。
SNS 上だから、ネットの向こう側の世界の出来事と頭では判っていても、動物的本能が追いついてない状況です。
結果的に脊髄反射して、冷静になってを繰り返すと躁うつを繰り返してるような起伏が出来上がり、精神的に不健康になっていきます。
 
テクノロジーの進化と、人間の進化速度には大きな差があり、テクノロジーの進化速度に人間は追いつけていません。
進化人類学は、ブルーライトで覚醒してしまったり、脂肪を取り過ぎる原因を解き明かしましたが、それらはひとえに、人間が原始時代のままだからです。
または、別の考え方もあります。
 
 

■「憂さ晴らし」をするへの苛立ち

ウクライナ侵攻時に、何もできない自分に苛立ちを感じ、「なにか行動しなきゃ」と感情的になり、発露した行動が「デモ」や「戦争反対!」などの意見表明ではないでしょうか。
 
デモやネット上での潔い意見表明は、有名人であるほど多くの共感を生みやすく、無名の人でも他人から「いいね」を貰いやすい方法です。
一方、現実的には意見表明したところで、事態が好転することはありません。
単に「憂さ晴らし」でしかなく、鬱積した感情の集まりに、多くの情報はかき消されてしまいます。
 
始めは、意見表明することのミスマッチが原因かと考えてましたが、そういう訳でもありませんでした。
情報がかき消されるのは有害ですが、新たな発見だったのは、意見表明する人たちは多数派で割と普通のこと。
別に悪気はない人たちだったと気づけたことです。(もちろん、意図的にやってる人もいるでしょうが)
自分とは相容れない考え方ですが、出来事を客観的に見れたお陰で、苛立ちの原因は別にあると気づけました。
 
むしろ、人々が身を寄せ合って行うデモ活動には、とてもパワーがあります。
人が集まるところにパワーが有り、パワーにお金も引き寄せられます。
有事でなければ大きなビジネスチャンスを生み出すパワーです。
良いことは、フラットな視点であらためて良いと考えられたのは収穫です。
ただ、有事の際は願わくば、営利目的で行われていないことを望みます。
 
では、苛立ちの原因とはいったい何だったのか? 
 

■「偽善者」への苛立ち

現実として、デモでターゲットにされる人のほうがパワーが大きいため、デモが効力を発揮しないであろうことは、容易に想像ができます。
Chang.orgの活動に参加/観察した結果、現実世界にほとんどまったく影響を与えていませんでした。
声を上げるだけでは、何も変わらないのが世の中です。
 
そうだとしても、当人たちがデモを行うなどで「憂さ晴らし」できれば、行き場を失った負のエネルギーが前向きなパワーに変わります。
だからこそ、行動自体に意味がある(生まれる)のだと理解しました。
 
当事者ではない人たちが行うデモ活動は、「相手の心に寄り添う手段」であり、当人たちが前に向きに、建設的になるための儀式であると納得しました。
 
ただ、何度もいうように、ロシア・ウクライナの衝突を好転させるには、ほとんど影響ありません。
デモ活動で惨事を知った人たちが、寄付をして多くの子どもたちを救うお金が集まるぐらいでしょうか。
注目度が高い案件となれば、多くの富裕層もこぞって寄付をするかもしれません。
ただ、もしデモで衝突事態をなんとかしようとするなら、ロシア国民たちがリスクを取ってデモ活動をする必要があります。
 
大事なのは、「リスクを取ってるか?」です。
「声を上げることは大切」と発言する人への苛立ちは、リスクに対する「無責任さ」やリスクを取らないことへの「軽薄さ」にあります。
 
自分たちは安全なところから口先だけで物を言い、承認欲求だけ満たしてスッキリする。
彼らの一連の行動に対する苛立ちです。
 
仮に、ロシアの人がデモを行えば効果はあり(リターンはあり)ますが、投獄されたり射殺される事(リスク)も起こり得ます。
リスクとリターンは表裏一体の関係です。
危害が及ばないところで、大声を出してストレス発散しても無意味、と指摘した理由です。
 
デモをするのは、ロシアやウクライナの"為"ではなく、自分たちの"為"です。
先ほども指摘したように、人々が集まるパワーはありますから、他人にも貢献しています。
しかし、ウクライナの"為"と、"偽"を語って大騒ぎするのは、"為"ではなく、"偽"。

まさに、"偽善者"ではないでしょうか。
 
悪いことには、注目を集めて自分のEC通販サイトに集客しようとしてる人もいました。
「やらない善よりやる偽善」などの言葉もありますが、偽善は偽善でしかありません。
逆に、"為"になってるなら、"偽"善ではなく善です。
単純なことですが、区別がついていない人は意外と多いです。
 
そして、区別がついてない人たちに対して、反応する自分が居ました。
反応しない練習』を読み、何度もメモを読み返したはずですが、反応してました。
もちろん、ウクライナ侵攻で上昇に転じた米国市況を、投資のチャンスと捉えていたりするので、他人から見たら変わりないのかもしれません。

大きく異なるのは、「相手の為」と「自分の為」を混同してないことぐらいです。
 
結局、苛立ちの原因は何だったのか。
自分が、同じように振る舞えないことへの嫉妬でしょうか。
または、彼らの高いコミュニケーション能力に脅威を感じてるからでしょうか。
注目を集めることが上手な人は、往々にして高い能力を持ってるのも事実です。
 
「見たくないものを見せられてる」という感覚は拭えないですが、彼らにも理屈があり、その価値観=美意識で行動してることは間違いありません。


■冷静になって

自分自身が苛立ってしまう原因は明確にはなりませんでしたが、文章化することで冷静になれます。
似たようなことがあったら、反応せず心を消耗せず、文章にしたいです。
 
ウクライナの惨状で心を痛める気持ちは皆同じです。
ただし、どういう行動をするかが違います。
事態を好転させる(と自分自身が考える)適切な行動をとったら、後はそれ以上でもそれ以下でもありません。
むやみに反応することへの無意味に気づけるかどうかです。
 
悲惨な出来事に対して、火事場泥棒のような行動を取る人々がSNS上に居たとしても、憤る必要はないのです。
 
自分は彼らとは一線を画す、と気概を持つことが必要かもしれません。

繰り返しになりますが、価値観=美意識は人それぞれです。
法に触れなければ何でもありの世の中で、正解もありません。
 
心が情報の波にのまれそうになったら、文章に起こして冷静さを取り戻すのが一番いい方法です。

2021-09-04

「お金は人の命より重い」の検証と、刑法のついての記録~人の命は無価値?



 

「お金は人の命より重い」と言われますが、本当でしょうか?

 その根拠となっているのは、刑法の罪の重さ(順序)のようです。

一生縁がないと思いますが、「重犯罪と通貨偽造罪」と「命の重さ」についてまとめます。

 

トピック

・刑罰と罪名のまとめ
・「お金は人の命より重い」の検証
・命の重さ、命の値段について
・まとめ

 

 

・刑罰と罪名のまとめ

刑罰の重さ(順序)と簡単な内容説明は、以下の通りです。

主刑	生命刑	死刑	1	絞首、合計19種類 	自由刑	懲役	2	刑務所に拘置、刑務作業を強制 		禁錮	3	刑務所に拘置、刑務作業は任意 		拘留	5	拘留場に1日~29日の範囲で拘置 	財産刑	罰金	4	1万円以上 		科料	6	1万円未満、前科はつく 付加刑		没収	–	単独での言い渡し不可(付加)
引用(https://tfutaba.com/keibatu_shurui/)

 

死刑になりうる犯罪(主要18種)については、以下の通りです。

死刑になる主要犯罪18種		重さの順序	最小	補足 刑法犯	内乱罪	2	無期禁錮	革命やクーデター 	外患誘致罪	1	死刑	外国と共謀し、日本に対して武力行使を誘発(テロ組織は含まず) 	外患援助罪	8	2年以上の懲役	外国からの武力行使時に加担、協力 	現住建造物等放火罪	6	5年以上の懲役	人がいる建物、電車、船などに放火 	激発物破裂罪	6	5年以上の懲役	人が中にいることが明らかな建物、電車、船などを爆発 	現住建造物等浸害罪	7	3年以上の懲役	水を溢れさせて、建物、電車、汽車などに損害(ダム決壊など) 	汽車転覆等致死罪	2	無期懲役	電車や船などを転覆、破壊した結果、乗客などが死亡した場合 	水道毒物混入致死罪	6	5年以上の懲役	水道に毒物を混ぜた結果、人が死に至った場合 	殺人罪	6	5年以上の懲役	人を故意に殺す犯罪(放置で死亡が予想される場合も適用の可能性) 	強盗致死罪	2	無期懲役	強盗を行った結果、人が死亡 	強盗強姦致死罪	2	無期懲役	強盗の際に、強姦などを行い、その結果人が死亡 特別刑法犯	航空機強取等致死罪	2	無期懲役	ハイジャック中に人が死亡 	航空機墜落致死罪	3	7年以上の懲役	飛行中の航空機を何らかの方法で墜落させ、人を死に至らしめる 	爆発物使用罪	4	7年以上の懲役・禁錮	他人の身体、財産を侵害するために爆発物を使用 	人質殺害	2	無期懲役	人質を殺害 	組織的殺人	5	6年以上の懲役	組織的に殺人をする犯罪 	海賊行為致死	2	無期懲役	海賊行為によって人が死亡 	決闘致死	6	5年以上の懲役	当事者間で合意して、暴力を行使して死に至らしめる

引用(https://keiji-pro.com/columns/181/)

 

通貨偽造については、以下の通りです。

引用(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045)



・「お金は人の命より重い」の検証

殺人罪は、「最低5年以上の懲役~最大死刑」で、組織的殺人は、「最低6年以上の懲役~最大死刑」です。

それに対して通貨偽造罪の場合は、「最低3年以上の懲役~最大無期懲役」です。

 

ケース・バイ・ケースですから、一概に比較はできませんが、最低ラインだけ見ると「人の命のほうが重い」ことになります。

 

簡単のために通貨偽造罪の「重さの順序」も、「死刑になりうる犯罪(主要18種)」の序列と合わせて表記していますが、すべて「7」以下なのが分かります。

 

また 、「死刑になりうる犯罪(主要18種)」では、人が死亡しているときの最低ラインが「5年以上の懲役」ですが、人が死んでいない場合でも放火や爆発物使用では、最低ラインが「5年以上の懲役」となり、木造住宅の多い日本の事情が反映されていると見れます。

「火に対しては、かなりシビア」は新しい発見でした。

未成年への死刑適用は18歳からの慣例も複雑ではありますが、事実として抑えておく必要があります。

 

 

・命の重さ、命の値段について

弔慰金は、民間サラリーマンの場合800万円、公務員の場合2660万円。
職種によっては「賞恤金(しょうじゅつきん)」があり、490万~3000万円。
命の危険を伴う職種が対象で、その公務中に死亡した際に、功績を称えて支給される弔慰金。
ただし、賞恤金は「二重取り」になるため、賞恤金の対象者は災害弔慰金の500万円を受け取らない慣例。※週刊ポスト2012年2月17日号(https://www.news-postseven.com/archives/20120207_85668.html?DETAIL)

イラク派遣などで死亡した自衛官には、最大9,000万円の弔慰金が支払われるなどの措置もあり、過去に話題になりました。


ただし、「命の値段」ではなく、資本主義に則った「損失価値の補填」や「需要に対し供給が少ないことへの上乗せ」と考えられます。


「損失価値の補填」は、例えば交通事故で怪我をした場合、事故のせいで仕事を休む必要が発生しますが、その場合の休業補償金は本人の時給換算になります。

生み出す価値が高いほど、結果的に金額が大きくなるだけで、その人の命の値段とするのは後付けで、「本来なら得られていた対価」を補填しているに過ぎません。


「需要に対し供給が少ないことへの上乗せ」も、需給の原則の通りで、需要が高く供給が少ない場合、希少価値が高くなるため価格は吊り上がります。

死ぬ可能性の高いイラク派遣を皆嫌がるからこそ、志願した人への手当は手厚くなります。

また生涯賃金の補填と解釈すれば、「損失価値の補填」といえます。



・そもそも人の命に価値はあるか?

「死刑になりうる犯罪(主要18種)」を読んでいて気づくのは、国に対する侵略行為や他人に対して権利を侵害する行為に、より重い刑罰が科されていることです。 


つまり、「他人(国)の権利を侵害するな!」に尽きるのではないでしょうか。

 

他人の権利をいちいち説明するのが面倒だから、「人の命は大切」と教えることで、「他人の命を奪う=他人への権利侵害」を説明している気がします。 


それならば、自殺や安楽死、尊厳死はどうなるのか。

映画『フェアウェル』の中では以下のように語られています。

命は自分のものだと思ってるだろ?
東洋と西洋では違う
自分だけの命じゃない
家族みんなの命だ 

引用(https://www.youtube.com/watch?v=l1l9UwY3q4g)

 

自分の命を奪うことは、家族に対して権利侵害である、と主張しています。



・まとめ

いかなる場合であっても、「他人の権利を侵害する」ことは許されません。

多様性や平等社会の根底にあるのも、「自らの権利の行使」や「反権利侵害」であるはずで、現代人が抑えるべき項目です。

語られている内容が、「権利を行使」しているのか「侵害」しているのかをベースに物事を判断、進めると議論が幾分かスムーズになります。