2021-05-21

相手は神様か? 新約「お客様は神様」のすすめ。


「お客様は神様です」のフレーズの生みの親・三波春夫氏のサイトでも、言葉の誤用や誤解が生じていると危惧しているようです。

 「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようですが、(中略)真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございます。

『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』- 「お客様は神様です」について | 三波春夫オフィシャルサイト


言葉の真意は、上記を読めば理解できるはずです。

しかし、実社会では「自分は神様だ」と思い上がったり、相手から「自分は神様だ」と主張を受ける機会もありそうですが、どうすれば良いか?

その答えが、新約「お客様は神様です」になります。


以前の記事「ビジネスを身近に!「新三方よし」理論」の中で、ビジネスの商流を以下のように記載しました。

例えば、自身がメーカーに勤めているとします。
消費者 → 運送会社(取引先) → 会社(自社)

 

同記事内では、「それぞれが利益を受け取れる商流の設計になっているか」に重点を置いて書かれています。

今回の場合はどうでしょか。

 

三波春夫氏が語るように「お客様はよろこばせる絶対者としての神様」に間違いありません。

つまり、「消費者=神様」です。

 

では、運送会社の配達員や自社の従業員はどうでしょう。

神に供物を捧げる平民? それとも奴隷や生贄(犠牲者)でしょうか?

 

新約「お客様は神様です」では、「お客様は神様です」を再解釈し、「神様、仏様、お天道様!」理論として、神様以外の登場人物の存在も明らかにしています。(三波春夫氏は自分と神様との関係で、相手は神様だと語っています)

雨や雪、猛暑の日でも重たい荷物を運んでくれる配達員の慈悲の心は仏様そのもの。(運送会社(取引先)=仏様)

で、

商品がお客様の元へ届くよう商品やお客様、運送会社を明るく照らす光はお天道様。

つまり企画実行者またはプラットフォーマーがお天道様の役割です。(会社(自社)=お天道様)


・・・・・


世界では、キリスト教の教義で「三位一体」が唱えられ、日本でも「三権分立」が採用され、権力の均衡を保っています。

少し話が大きくなりましたが、当然、お客様と従業員の間にも権力の均衡が保たれる必要はあり、また同時に、協力会社や取引先も蔑ろにされてはなりません。

 

「私は顧客だから神様だ」と発言する人や、そんな態度で接してくる人には、相手はなるほど神様だ、しかし自分はお天道様だ!といった心づもりで接し、お互いの関係に上下はなく、対等であることを意識しましょう。

「自分は神様だ」と主張したくなったときも同様です。

本来、神様と仏様はどっちが上か、偉いか? 太陽は格下か?などと考えるのがナンセンスで、そのことが理解できれば自ずと正しい振る舞いができます。

 

つまり、新約「お客様は神様です」は、神の上にも下にも人はなく、対等な存在の仏様とお天道様がいることを示した理論です。

「そうは言っても現実は、、、」の声が聞こえてきそうですが、自分自身も対等な関係でビジネス相手と向き合えることが重要です。

だからまず、そういった環境になるよう自分自身がそう振る舞うことが第一歩になります。



おわりに、先ほどの三波春夫氏のサイトの下部を見ていると、以下の一文がありました。

 「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」 


三波春夫氏も八百万の神の存在を示唆しているようで、「人間それぞれが神で対等だ」と捉えることもできそうです。