2021-11-30

生まれ変わるなら江戸・明治、どちらの時代?

 
 
目次
■はじめに
■経緯
■江戸と明治が表すもの
■活用方法
■最後に


■はじめに

 定期的につぶやいてて、先日も似たような話題でつぶやいたので、記録としてまとめておきます。
特に大きな意味はないですが、始めに「江戸と明治のどちらに生きたいですか?」の質問に答えを出してから読むことをオススメします。(選択した理由もメモしておくと良いです)
 
 

■経緯

きっかけはだいぶ前ですが、2冊の本を別々の時間軸で読み、同じ事柄に対して真逆の解釈がされていたことでした。

 

 

 

その後、ツイートでもつぶやくこともありましたが、思い至ったのはだいぶ以前の話です。

 

 

  城繁幸氏の本の中では、江戸時代は身分制度でガンジガラメの時代。
それに対し、生まれに拠らない自由の時代として明治時代が描かれてます。
 
逆に、大井玄氏の方では、痴呆老人の「痴呆」を受け入れる余裕のあった安心の時代として江戸時代が描かれ、社会に余裕がなくなり「痴呆」が問題化=許容できなくなったのが明治以降というような描かれ方でした。
昔の記憶のため拡大解釈が入っているかも知れませんが、その点はお含みおきください。
 
この別々の時間軸で読んだ2冊の本が、ある時のふとしたひらめきで、「江戸と明治の解釈」という点で繋がり、人の立場によって見方や意見がまったく異なるんだなと新鮮な体験をしたことがきっかけです。

 

 

 ■江戸と明治が表すもの

 で、そのときに感じたのが、肉食系と草食系、好景気と不景気、明治と江戸の二項対立でした。
歴史に特に詳しくない人でも、江戸と明治をイメージするとだいたいこの辺の感覚は共有できてるんじゃないでしょうか。
それならば江戸時代と明治時代のどちらに生きたいかを訪ねれば、その人の価値観やオラオラ気質みたいなものを測れるんじゃないかと考えました。

同時に、「今の時代を生きる人たちが何を求めているか?」を知る質問でもありますし、現代は時代の大きな変わり目で江戸末期と酷似した状況と感じてます。
そんな中で、人々の行動や価値観はどう変化しているのかに興味がありました。
 
江戸から明治に変わるときは、身分制度からの開放という未来への希望があった訳ですが、現代においては多くの人(日本人)は、未来に悲観的な状況にみえます。
だからこそ、江戸か明治かで問われれば、「限定的だけれども安定した身分制度」を求めて江戸と答える人が多いんじゃないかと睨んでいます。
 
資本主義に疲れたとか、もっと楽しい事ばかりをして生きていたいとか、仕事以外の時間やゆとりある生活をしたい、というのが現代の感覚じゃないでしょうか。
 
 

■活用方法

会社とか人を見極める必要がある場面でこの質問はさりげなく本心を暴くものとして活用できると考えます。
その人やその会社の価値観なので、どちらが良いとか悪いとかではないですが、
江戸的な考え方は、「長いものに巻かれろ」、「大手企業」、「重厚長大」、「保守的」、「ブランド・歴史」等が挙げられます。
明治的な考え方は、「立身出世」、「中小企業」、「小回り・軽快さ」、「先進的」、「新奇性・目新しさ」等が挙げられます。 

例えば、人を採用する場合に、肉食で野心的な人を取りたければ明治を選んだ人が適切ですし、和を大切にする場合は江戸を選ぶ人が適切ではないでしょうか。
明治だけだと激動の時代で疲れてしまいますが、江戸だけでもゆるく長く貧乏を意味します。
当然、稼ぎやすいマインドは明治で実力主義の世界です。
 
 

■最後に

長年、明治なほうが良いと思い、今でもそれは変わりませんが、現代のテクノロジーがあれば、江戸な価値観でも上手くいく気がしています。
 
猪子さんのいう「グローバルハイクオリティ、ローカルロークオリティ」に通じるものかもしれませんが、江戸を好む人たちのロークオリティでも、生きる術はあり得るはずです。
 
それは同時に、グローバルとローカルの格差拡大をも意味しますが、その点は格差是正のために資本主義をさらに洗練させた新たな知恵が求められます。
 
いまの考えでは「お金の効力を一部、無力化」が有効だと考えていますが、その辺については、そのテーマの良い本がないか探索中です。

多様性の時代と言われますが、正直、周りにいる人たちと価値観が合うほうが人生は面白いですし、多様性を担保する必要があるのは社会全体での話です。
自分の中で江戸と明治のどちらの割合が強いかで、実際に対面する人間の割合も買えてみるのも一手です。